
打倒ニューヨーク・タイムズ!!!
という志があった気がする川崎たいむずぅは、新聞!というテイで始まったというか、新聞だと言い張っておる訳ですけれども。
新聞というか地域情報サイトというか、もはや日記みたいになっておる訳ですけれどもね。
新聞ですから!
今後何かしらのピューリッツァーとかも視野に入れるだけは、入れておる訳です。
では現在、川崎たいむずぅ略してかわずぅに無くて、新聞にあるものと言えばですね。
そう!
連載コラムな訳です!!!
新聞と言えば連載コラム。
連載コラムさえあればですね。
かわずぅもニューヨーク・タイムズを超えたと言っても過言!!!
過言な訳ですけれども。
無いよりあった方が良い訳ですから。
本来であれば、ぶっちぎりの本格派なら浅田次郎先生や、読者層のニーズを考えるのならぐちこ先生などに執筆依頼をした方が良いに決まっておるのですがね。
今現在、かわずぅには、広告主やスポンサーがいるはずもないのでですね。そんな予算は、ビタ一文たりともない訳です。
だからですね。
困った時の自給自足!!私が書きます!!!
はい!!!
これでニューヨーク急接近!!!
ほとんど川崎ペンシルベニアたいむずぅ!!
という事でね。
連載コラム「へんしゅうちょーの自由帳」を始めます。
記念すべき第一回目ですので、折角ならと、この「かわずぅ」を始めるに至った経緯を書こうと思った訳ですけれども。
そもそもからして、私は、現在進行形で「大阪」の「弁当屋」な訳でしてね。
なぜ弁当屋が新聞なのか、大阪から川崎なのか、という二重のわけわからんが発生しておりますのでね。
その辺をペロッとアレしていきます。
まずは、なぜ弁当屋が新聞を始めたかと言いますと、理由は大まかに言うと二つありましてですね。
根本的にですね。
私の中学校卒業文集に「新聞記者になりてぇ!」って書いてありましてね。
なぜそんな事を書いたのか、二十年以上経った今となってはわかりかねますが、多分当時の私の「夢」みたいなものだったのでしょう。
そんな少年の麗しい夢など、きれいさっぱりに忘れ、すくすくと弁当屋になった訳ですけれども。
二年ほど前に古い友人に会いましてね。
お互い、今どんな仕事をしているかという話になりましてね。
彼女は、新聞記者になっておりまして。
凄んげぇぇぇーーー!!!
そう言えば俺、中学生の時新聞記者さんになるの夢やったわ!!!
凄んげぇぇぇーーー!!!
と、中学三年生の少年のテンションで言いましたらですね。
なればええやん!!!なれるって!!!
私お弁当屋さんになれへんと思う!?
そやろ!それと同じやって!!!
と、中学三年生の少女のテンションで返って来ましてね。
それがずっと心に刺さっておりまして。
そして、もう一つの理由がですね。
こちらは、街の小さな弁当屋を運営してきた経験上、結構切実というかアレな話な訳ですけれども。
お陰様で、私の運営する弁当屋は、なんだかんだと元気に営業しておりましてね。
もちろん物凄ぇ儲かるかというと、そんな事は全くないですが、潰れる気配は今のところ無い訳です。
しかしですね。
飲食店に限らず、小規模商店などは、結構な確率で開店から数年以内に閉店を余儀なくされる現実がありまして。
そんな小規模商店にとって、雑誌やローカルメディアというのは、救世主みたいなものでしてね。
私の運営する弁当屋なんかは、運良く数ヶ月に一度位の割合いで何かしらの媒体にご紹介頂いたりする訳ですけれども、その度に行列が出来たり、そこから常連のお客様が出来たりする事がままある訳です。
ただですね。
それは、メディアさん側から善意で取材に来て下さる場合に限る話な訳でしてね。
小規模商店側から「取材に来て宣伝してー」と依頼をした場合、当然の事ながら結構な費用がかかる訳です。
例えば、私の運営する弁当屋の地元ローカルメディアでは、もちろん宣伝効果は抜群なのですが、記事にして貰おうとすると少なくとも数十万円の費用が掛かりましてね。
単価の高い不動産や金融分野ならまだしも、単価の低い小規模商店などには、とてもペイ出来る金額ではありませんでしてね。
また機会があれば詳しくお話しする事がありかも知れませんが、私、小規模商店が元気な事が、この世界にとってとても重要であると信じておりましてですね。
後、シンプルに小規模商店が好きでして。
だからですね。
「うちの店の宣伝してー!」
「はーい!ちょっと交通費だけ頂いても良いですかー!」
「千円位ならオッケー!」
みたいなノリのですね。
宣伝媒体があれば良いなと思いまして
あれば良いなと思うものは、作れば良いなと思いましてね。
後は細かい事を言い出すと、様々要因はある訳ですけれども、大体そんな感じで、とりあえず始めようぜ!という、持ち前のアグレッシブルさが全面に出ましてね。
始める事と相成りました。
で!
でですよ!!!
なぜ大阪の人間が、こんな事を川崎を舞台に始めたのかという話なのですが!!!
詳しく書くと長くなるのでズバッと割愛しますと、数年前ひょんな事がきっかけで私は川崎市と接点を持ちまして、その後アレよアレよと言う間に沢山の川崎市民の方々と交流する事になった訳ですけれどもね。
正直に言いますと、数年前まで川崎市についてなーんにも知らなかった訳です。
本当にね。何も知らなかった。
正直ね。本当のところ、どれくらい知らなかったかと言いますとね。
本当に正直に言うとですね。
_人人人人人人人人人人人人人人人_
>東京だと思ってたぁぁぁーーー!!!<
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
はい。東京だと思っていました。
私ですね。京都生まれの大阪育ちでして、奈良や兵庫や滋賀にもほんの少しだけ住んでいた時期がありましてね。
近畿一円は、明日からタクシードライバーさんに転職しても全く困らない程、網羅しておる訳です。
その点、大変申し訳ない事に川崎については、数年前まで全く何も知らなかった訳でしてね。
初めて見た「等々力」なんかは、ナドナドリョクだと思いましたから。
忍耐力的な何かしらの力かと思ったくらいですから。
逆に言うと「初見の感動」が半端ない訳です。
例えば、私の地元大阪の枚方市という所には「山田池公園」という、四季折々の姿が楽しめる、大変素ん晴らしい公園がある訳ですけれどもね。
私、二か月に一回位は訪れる訳です。
三十年間程ね。訪れておる訳です。
もうね。
凄んげぇぇぇぇぇーーーー!!!!!
とかいう、新鮮なリアクションをとったのは、三十年程前で、今ではもうね。
しっとりと、ただただそこに共にある訳です。
その点ですね。
川崎については、何も知りませんでしたからね。
見聞きするもの全てに、凄んげぇぇぇぇぇーーーー!!!!!と、いちいち新鮮に感動している訳です。
しかも、大変ありがたい事に、ここ数年の交流の中で川崎市民の知人が大量に増えてですね。
大量の情報やお写真なんかも頂ける環境でしてね。
そして、最大の理由がですね。
川崎市はですね。
知れば知るほど、物凄ぇ街でしてね。
もっと知りたい、というか、もっと知らなきゃならないなと思っておりましてね。
現在、ご周知の通りこの日本という国は、少子高齢化の真っ只中でして、人口もモリモリと減ってきておる訳です。
ご多分に漏れず、私の地元枚方市もガリガリと人口が減ってきておる訳ですけれどもね。
川崎市ですね。
増えとる。
_人人人人人人人人_
>人口が増えておる!<
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
凄んごい。
凄んごいの。
ものづくりから小売に至るまで、大企業がこれでもかと立ち並ぶ中、地元商店街などの小規模商店や中小企業なども元気に共存し、それが驚くほど調和しておりまして。
数々のスポーツクラブや文化的施設なども高い水準で沢山根付いておりましね。
高度成長期かな?っていう感じでしてね。
もちろん、一朝一夕でこうなるはずもなく、地元住民の方々や行政が長い間培ってきた積み重ねの先に今ある姿が存在しておる訳でしてね。
それを知って、学んで、習ってですね。
なんかこう、私の地元にも良い感じに生かせたらなと。そう思っておる訳です。
なのでこういった、いわゆる「地元ローカルメディア」というものは、第一のコンセプトとして「川崎を元気に!」などが来ると思うのですがね。
かわずぅの場合は「元気な川崎がなぜ元気なのか知りたい!」が一番に来るという、ファンタスティックかつトリッキーなコンセプトな訳です。
その上でですね。何か少しでも、川崎に関わる全ての人々の役に立つ事があれば最高だなと思いまして。
川崎市を舞台にした新聞を始めるに至った訳です。
その他にも話し始めると、まだまだ細かい理由があったりするのですがね。
これ以上書くと読むのが疲れますから!(迫真)
この辺でね。おいとまします。
次回の「へんしゅうちょーの自由帳」は、もう少しコンパクトに、もう少しタメになる話をしようと思っていますので。
多分思っているだけですけれどもね!(迫真)
多分また、ダラダラと長く、よくわからない話になると思いますけれどもね。
ひとつよしなに。
文/森田へんしゅうちょー